導引は、五千年前の中国に生まれ、歴史の中で育まれてきた「気」の健康法です。
中国最古の医学書『黄帝内経(こうていだいけい)』にも、「西暦前二千七百年に天下を統一し、度量衡や貨幣制度をつくった黄帝(皇帝)が、病気の治療に導引坐功(ざこう)を行った」という記述があります。
また、老子と並ぶ道家の思想家『荘子』の刻意篇には
「吐呼衲新(とこのうしん/呼吸によって古い気を吐き出し、新しい生気を体内に取り入れる)、 熊経、鳥申(ゆうけい・ちょうしん/熊が木を登り、鳥が伸びをする格好)をする人は寿たるのみ。
これを導引の士といい、彭祖のように長寿を願う者が好んで行う。」
と紹介されています。
古代の人たちは狩猟が生活の中心だったので、安全かつ効率良く狩りをするためには、まず猛獣の攻撃から身を守り、獣や鳥の動きに気を合わせる必要がありました。
熊には熊のような、虎には虎のような姿勢をとることで敵の攻勢をそらし、さらに進んで相手を倒す技を身につけるようになったのです。
また、古代の人たちは、野生動物は病気にかからず、病気では死なない、という事実にも気がつきました。そこで、野生動物の動きを真似すれば、病気にかからず、天寿を全うできるのではないかと考えたのです。
こうして、人々は、野生動物の動きを真似することで、いかにして自然に近づく事ができるかを工夫し、人間の健康にもどれほど役立つものであるか、長い年月を積み重ねながら考究してきました。
その集大成となったのが導引で、それを実証したのが1973年に中国湖南省長沙で発掘された馬王堆(まおうたい)の漢墓です。
この漢墓から多くの木簡や帛書(絹地に書かれた書)が出土し、その中に四十四の導引の型が描かれた「導引図」が見つかったことで、漢時代に導引が行われていたことが証明されたのです。 漢墓に埋葬されていた女性は、導引を行っていたためか、死後二千年経っているにもかかわらず、肌には弾力があり、みずみずしい姿を保っていたといいます。
この頃から導引研究が急速に進み、後漢末には、華陀(かだ)という名医が「五禽の戯れ(ごきんのたわむれ)」という動物の動きを真似た健康法を考案しました。五禽は、虎、鹿、熊、猿、鳥を指し、この行法をすると疲れや病気がたちどころに治り、若さを保ち続けたといいます。
隋、唐の時代になると導引は中国最高の医学として位置づけられ、隋代に記された医学書『諸病源候論』には、三百種に及ぶ病気の原因、症例に加えて、六百に近い導引による治療法が紹介されていました。
導引が、日本に伝わったのは、四世紀末になります。 古代帰化人として有名な王仁(わに)が、朝廷に献上したのが、『論語』と『千字文』そして、『平法学』という武術書で、その中に導引のことが記されていました。
この『平法学』が、清和源氏から瀬戸内の水軍で有名な村上源氏に伝わり、狭い船の中で居住する兵士の克病・健康法として奨励され、道家道学院 早島天來 初代学長の先祖である大高坂家に伝承されていったのです。
そして、初代学長が、隋代に記された中国最高の医学書『諸病源候論』をベースに、導引を現代人に合わせて見直し、集大成したのが「導引術」・「動功術」・「洗心術」なのです。
なかでも「導引術」と「動功術」は、本場の中国や台湾でも驚きの目をもって迎えられ、道家龍門派伝的第十三代(正統継承者)の允可を受けました。
このように、「導引術」は長い歴史的背景をもつ健康法です。
そして、道家道学院は、早島天來初代学長が確立した「導引術」を学べる、正当な学院なのです。